N0.2



イタリア編


ゴンドラ遊覧
短時間のベニス観光のしめくくりは、名物ゴンドラ遊覧である。14年前に訪れた際には、「ゴンドラは高いばかりだからよしたほうがよい」というホテルのおやじさんの忠告に従って乗船しなかったのだが、やはり話の種に乗っておくべきだったと後になって思うことしきりであった。今度はツアーで乗せてもらえるので、チャンス到来である。


バリア橋のたもとにあるゴンドラ乗り場

小広場を通り抜けて海岸沿いにゴンドラ乗り場へ向かう。ここで一行は6人ずつに分かれて乗り込む(定員は6人)。屈強なゴンドリエーレ(船頭)のゴンドラに乗り込むと、船は静かに岸を離れて海洋に漕ぎ出る。しばらく進むと、ため息橋の見えるバリア橋へぐるりと回り込んで細い水路に入る。ここが定番のコースで、ため息橋を見上げながら奥へ進んで行く。



(動画)ため息橋をくぐって奥へ進む



(動画)次々に橋をくぐりながら狭い水路を進む




幾つもの橋をくぐって漕ぎ進む

このゴンドラは幅が狭くて細長く、船底が縦に湾曲していて水面との接触を最小限に保つという独特の船形をしている。そのため1本のオールだけで大きな推進力を得ることができる。船尾に立つゴンドリエーレが前進、回転、後進と自由にあやつりながら操船するわけである。


狭い水路を行き交うゴンドラ

このゴンドラは何世紀にもわたってヴェネツィアの主な交通手段であり続けたわけで、18世紀には数千艘もいたそうだが、現在は200〜300艘と減少し、それもほとんどが観光タクシーとして利用されている。ヴェネツィア共和国時代の費用削減法で船体は黒塗りが義務づけられたそうだが、法律が無効となった現在でも習慣として黒の塗装がなされているという。


外海は風が強かったが、水路に入ると風はなくなり、静かな水面をゴンドラはゆっくりと進んで行く。進むにつれ、次々に現れる橋が水路の風景にアクセントをつけてくれる。歴史を感じさせるレンガ造りの高い建物が押し迫るように立ち並ぶ狭い水路を進んでいると、さすがに水の都だなあという思いにさせられる。だがその思いも、昔と変わらぬ濁った水と汚泥の匂いが漂う現実に、すぐにかき消されてしまう。  


ゴンドラが込み合ってきた


水の都は橋だらけ


狭い曲がり角もある


やや広い水路に出る


この先を曲がると終点

私が夢見るゴンドラ遊覧の理想は、底まで見える透き通った水路を、リボンを付けたカンカン帽を斜めに被り、横縞模様のシャツを着込んだ粋なゴンドリエーレが、舟唄を響かせながらゆっくりと漕ぎ行く風景である。この夢が実現する日がいつの日か訪れるのだろうか? 今でもチップをはずめば舟唄を聞かせてくれるのだろうか? 現実はそれぞれ自前の普段着を着込んだゴンドリエーレたちが無造作に漕ぎ行くだけなのだが・・・。


先へ進むにつれてゴンドラが混雑してくる。交通渋滞ならぬ“水上渋滞”である。この水路がメインルートだけに、ほとんどのゴンドラがここに集まってくるのだ。このすぐ先がコースの終点で、そこで下船することになるのだが、それに手間取って渋滞が起こっているらしい。ようやく順番が来て下船したのは、乗船してから約40分後のことである。


ゴンドラ乗船(6人乗り)のチャーター料金は、われわれが遊覧した35分コースの場合⇒80ユーロ(夜間料金は100ユーロ)となっている。(08年5月現在)


トリエステへ
ゴンドラ遊覧を終えると再びトラゲットに乗り込んでバスの待つ駐車場へ戻る。上陸すると、現地ガイドと別れて今夜の宿泊地トリエステへ向かう。午後5時半のことである。これからイタリア最北部の町トリエステまで150km、約2時間をかけてハイウェーを走行する。


車窓には美しい草原の風景が流れて行く。ハイウェーも良く整備されて快適な走行ができる。途中、ぽつりぽつりと雨が降り始め、フロントガラスには水滴が水玉模様を作り始める。これがゴンドラ乗船中でなくてよかったと胸を撫で下ろす。これから目指すバルカン半島地域の天気は、いずれも不安定で雨模様の予報になっている。だから、雨にたたられる旅になるのは覚悟の上である。


トリエステへ向かう車窓風景


よく整備されたハイウェーを快適に走行中


草原の緑が美しい

1時間ほど走ると右手にきれいな海が見え始める。アドリア海の一部なのだ。目指すトリエステは、この先の海岸沿いにある町なのだ。見え隠れする海を横目に、夕暮れの道を車は快適に走行する。7時を過ぎているというのに、夏時間のために日没の感じはなく、まだまだ空は明るい。


右手に海が見えてきた

トリエステのこと

夜の8時前になって、ようやく国境沿いの町トリエステに入る。海岸通りにビルが立ち並んで港町の風景が広がっている。イタリアの町といっても名前さえ聞いたことのないこの町だが、歴史のある港町のようだ。


雨のトリエステの町に入る


海岸通りのホテルを目指す


ホテル近くの海岸通りを走行中

イタリアの北東部に位置するこの町は、北はオーストリア、東はスロベニアと国境を接している。隣国のスロベニアには現在もイタリア系住民が住んでおり、その逆もしかりである。トリエステTriesteの港はオーストリア支配の時代にベネツィアへの対抗という意味で発展したそうだが、現在でもイタリアの東海岸最大の貿易港として君臨している。


商工業と貿易の町として栄えてきたトリエステの町並みは、長く支配されていたオーストリアなどの色合いをそこかしこに残している。ローマ時代に端を発することは市内の遺跡からも見て取れる。旧、新市街とテレジア地区、そして港にそれぞれの時代ごとの様式が見られて歴史がしのばれる。


夕食は海鮮リゾット
海岸通りの宿泊ホテルに到着したのは午後8時前のとである。部屋には入らず、そのまま食堂へ直行して夕食となる。今宵のメニューはリゾットとのこと。田舎者の私には初めての料理である。飲み物はビール(小ビン:5ユーロ=約850円)を所望。それにしてもビールの値段のなんとバカ高いことよ! ベニスでもない地方都市なのにである。レストランであってもその半値が相当だろうに・・・。


やがて運ばれてきたリゾット料理は、次の写真に見るようなものである。米のお粥を固めにしたような感じである。味付けは海鮮の味がよくしみて、なかなかおいしいものである。中に入っているのはムール貝なのだろうか?


米の芯が残る海鮮リゾット

ところがである。一口食べてみると、米が半煮えの感じで芯が残っているのである。プチプチと歯ざわりが悪く、ご飯を食べた感じがしない。ふんわりと炊き上げたご飯を常食とする日本人には口慣れない料理である。出来そこないの料理かと思っていると、なんとこのリゾット、わざわざ米の芯を残すのが料理の特徴とか。米をバターで炒め、スープとサフランを加えて炊くのが基本だそうだ。芯の残るご飯では下痢しないかと心配しつつも、結局は全部平らげてしまう。


このリゾットの他に、イカ・エビ・小魚などのフライが盛られた海鮮料理が出される。海辺の町だけに海鮮料理は豊富なのだろう。しかし、豊富な新鮮魚に恵まれた長崎人の私には、やや物足りない感じだが、結構おいしくいただける。リゾットが胃袋にどっしりと詰まり、お腹いっぱいとなる。


タコ・エビ・小魚の海鮮料理

夕食が終わって部屋に入ると早速、シャワーを浴びて一段落する。横になって眠れるのはまる2日ぶりのことで、疲れた足のマッサージでもしながらベッドに横たわる。明日はいよいよスロベニア入りで、これから本格的な旅が始まる。天候が心配だが、こればかりは運を天にまかせるしかしようがない。素敵な旅の夢でも見ながら眠るとしよう。トリエステの夜はふけて、床に就いたのは夜10時のことである。

(トリエステの街の風景は次ページ冒頭で見られます)


(次ページは「スロベニアの旅」編です。)











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